後悔の脳梗塞から私が介護で学んだこと
七日目の勤務。
昨日まではダルダルだったけど、明日が休みだと思うと今日は身体が驚くほど軽かった。
まずキミエさんのお部屋に散歩の声かけに行った。
「キミエさん、散歩でも行かれませんかぁ?」
「あらいいですねぇ。でも…外はもう暑いみたいですね。どうしよーかしらぁ」確かにもう暑いよなぁと思って世間話をしていると、キミエさんの妹さんが私の前の職場の利用者さんだったことがわかった。
スゴイ偶然。
キミエさんの妹のミツエさんは私が働いていたグループホームにおられ、一年ぐらい前に脳梗塞で入院された。
私は三年一緒に生活させていただいていた。
いまは退院され違うグループホームにおられるとのこと。
ミツエさんが入院された日を私はよく覚えている。
みんなでお花見に行く日だったけれど、ミツエさんは「頭が痛いけんやめとくわ」とお部屋で休んでおられ、私は一緒にホームの留守番をしていた。
ミツエさんはだいぶ前から頭痛がひどくフラつきもあり、スタッフも注意していた。
その日ミツエさんは昼食もほとんど摂らず眠られ、私は何度となくお部屋を覗き声をかけた。
ミツエさんは面倒見のいいリーダー的存在だった。
反面プライドが高く頑固、人の世話にはなりたくないという思いが強かった。
アルツハイマーによって色々なことができにくくなり、それにイラつき周りに攻撃的な行動をされることが増えていた。
だから留守番の間びくびくしながら様子を伺った。
声をかけるたび「大丈夫よ」の声を聞き安心し、早くお花見チームが帰ってこないかと待っていた。
夕方みんなが帰ってきてもミツエさんは眠り続けていた。
「今日は寝られすぎだよねぇ?心配だなぁ。注意しとこう」とスタッフと話していた。
そろそろ夕食だからとまた声をかけると、やっと起きられたミツエさんは別人のようだった。
布団に失禁。
それを交換するのにいつものような抵抗も勢いもない。
いつもなら「自分でする!」と怒り出すはずなのに。
明らかにおかしかったのは、しだいにロレツが回らなくなったこと。
これはヤバイと病院へ行くと脳梗塞だった。
眠っている間におこったらしい。
それからミツエさんに会っていない。
ミツエさんの頭痛がひどくなってからスタッフの何人かは、ミツエさんの受診をお願いしていた。
もちろん私も。
けれど実行されることはなく、ついにとゆう感じで脳梗塞。
その場にいた私はやっぱり自分を責めた。
もっと様子をじっくり観て早めに病院に行っていたら…私の判断でなんとか行動していたら脳梗塞にはならなかったかもしれない…。
入院されてから会いに行きたいと思いながら、行っていなかった。
なんか顔を見るのが辛くなる気がして行けなかった。
違うグループホームに入られたことも悔しかった。
ミツエさんの帰りを待って、なじみのお部屋でまた一緒に生活することはできなかったんだろーか。
キミエさんはたまに会いに行っておられるらしい。
「妹はもう前の姿じゃないです。可哀想だけど…」
「私のこともわからんみたいでねぇ…」と悲しそうに話された。
リーダーでホームを仕切っていたミツエさん、頭痛に苦しんでいたミツエさん、そしていまは家族のことがわからなくなってしまったんだ…。
ミツエさんとのやりとりや姿を思い出して涙が出た。
「ミツエさんにお会いしたいです」と私が言うと「じゃあ、また私が行くときに一緒に行きましょーよ。アナタなんてお名前?妹憶えているかしらねぇ?」と私の名前をメモ紙に書いて机の上に置かれた。
すごく嬉しかった。
きっとこのやりとりも忘れられて「この紙なにかしら?」ってことになるんだろーけど、でも誘っていただいて嬉しかった。
介護の仕事をしていて、ミツエさんの場合のように後悔はつきものだと思う。
あの時にああしていれば、と思ったことは何度もある。
それが病気だったりすると、その方の先の人生がガラっと変わってしまうから。
私がなんとかできるものではないし、できるぐらいならそんな重大な事態ではないってことなんだけど。
だけど何かあれば必ず後悔してしまって、こんな想いはしたくないからもっといいケアしたい、と思う。
キミエさんとお話させていただいたことで、心の中にあった暗い気持ちが解放された気がする。
ミツエさんに会ってあの頃の話をしてみたい。
いまはどんな状態かわからないけど、バリバリだったミツエさんをしっかり憶えてますよって言いたいなぁと思う。
キミエさんとの時間で私はすごく救われた。
結局、散歩は夕方にしましょうとゆうことになり、お話で終わってしまった。
キミエさんと仲良しのヒデさんもやってきて「食堂おりてコーヒーでも飲まや」三人でコーヒーを飲んで喋って、なんか女学生みたいなひとときだった。