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最新記事【2006年06月11日】

ついに、ついに所長に愚痴をこぼしてしまった。

話ながら涙ウルウルになっちゃったから、思っていた以上にしんどかったんだなぁと気づいてしまった。

人間関係が恐ろしく複雑で、そこにいて平静を装うのに限界が近づいているってこと。
おばさん独特のツナガリが仕事より優先されていて、そんなんおかしいんじゃないかってこと。

私だって立ち向かって行きたい相手は何人かいるけど、火花バチバチのいまの状況で私までが参戦してしまったら大変なことになるとわかってる。
だけどイイコちゃんしてやってるから、文句や愚痴や要望を言われまくる。
まあ、いいように使われちゃったりもするし。毎日おばさんに代わる代わる、なんだかんだと言われてたらブチっとくるのも時間の問題。
文句や愚痴ばかり言ってくるおばさんに対して「一体なんて返事したら納得されるんでしょーか…?仕事について改善していきたいのか、ただの悪口なのかわからないから返事のしようがないです。
そんなことばっかに神経イッてて、仕事する気ないんすかねぇ…?チョット言い返したくなってきました。
でもそんなんしたら空気悪くなるし…」その気持ちを話したら「イイ、イイ。言いたいこと言っていいよ。キレてよぉ。そんなおばさん達はどうでもいいけん。
しんどかったら1ヵ月ぐらい休んでいいよ。
でもちゃんと帰ってきて」と所長。

有り難い返事ではあったけど、まず無理でしょ。
そんなんしたらやってけないでしょーよ。
所長は、私にはおばさん達の蟻地獄に入ってほしくないみたい。
だからどんな状況になろーと、私だけは仕事にまっすぐいてほしい。
そのためならフォローしていく、とゆうことらしい。
なんか、何にも言えなくなってしまった。
嬉しかったし、自分で道を見つけるしかないって思った。

「…だけど、大変だよね。わかるよ。ゴメンね。しんどいとこに居るのはわかってるけど、いろんなことを頼んでしまうに。なんか、やってくれそうだからついつい。できないことは言ってくれたらいいよ」やっぱり所長はウマイ。
おばさん達の戦いをいつもおさめているだけあって、諭し方がハンパなくウマイ。
話してたらがんばるしかなくなってしまった。
優しいことを言いながら、また無茶ブリするくせになぁ。
だけど吐き出したぶん、だいぶ楽になれたかも。

たぶんみんな、女の園で働いてる人はこうゆう悩みがツキモノなだと思う。
コレと戦いながらやっていくしかない。所長が悩みを受け入れてくれたことに、すごくすごく救われた。
こんな上司がいてくれるのはすっごく有り難いことだと思った。
前の職場では「だいたい若い人は、自分の権利ばかり主張して義務を果たさない」とか「勘違いじゃないの?」とか驚くほどトンチンカンなリアクションが返ってきたもんだ。
そのぐらいの『おばさん優先社会』だった。

やっぱり介護の仕事が好きだから強くなるしかない。
上司に助けてもらえるなんて願ってもない状況。
だからがんばるしかないよなぁ。
じゃないと、好きな仕事より井戸端会議ばっかに神経がいくようになって、それって私の嫌いなおばさん達と同じだもん。
ああはなりたくないよ、絶対。危うく蟻地獄に転げ落ちるところだった。

土曜勤務は相当に過酷。

今日は希望休を取っていたけど彼氏にデートをドタキャンされ予定がなくなったので、おばさんと勤務を交替して仕事になった。

一日中スタッフは二人。
所長がたまに顔を出してたけど「二人でやれるよねぇ〜」と半笑いで帰って行った。
ムカつくぅ〜、できるワケねーだろっ!
仕事は入浴排泄介助、食事配下膳、体操、事務所番、来客対応。この仕事がいくつか重なって襲ってくるので、二人でこなせるワケがない。
それに加え、スタッフが少なくて関わりが薄くなるので、認知症の方はいつもよりかなり不穏だった。

「帰る」と言い出して事務所から家族に電話かけまくるロンさん、一人で出るとかなんとか大騒ぎ。
そして30分おきにトイレコールまたは廊下徘徊のキクエさん。
ほかにも仕事は数えきれない。
身体がいくつあっても足りない状況だった。

キクエさんが廊下を徘徊されるといつも同じ階の世話好きばあちゃん達が知らせてくれるんだけど、シュンさんは違う。
看護関係の仕事を何十年もしてらしたシュンさんは、困ってる人を見ると的確にケアをしてくださる。
今日はどうやらシュンさんが廊下徘徊中のキクエさんに遭遇したらしい。
しかも何度も。
ケアをしてくださるのはとても有り難いが、スタッフは後で必ずお叱りを受ける。
これがイタイ。
「あのおばあちゃんが御婦女(トイレ)へ行きたいってゆうから連れてってあげたわよ。もう何回もしてるのよ。あなたね、見てあげなきゃダメよ。おばあちゃん動けないのよ。あなたがちょくちょく見てあげなきゃダメじゃないの!」
かなり鋭い目つきで指導してくださる。

うーん、ごもっともです。
シュンさんは病院や看護学校で活躍された偉大な方。
実績だけじゃなく、看護や介護に対する姿勢は本当に素晴らしい。
いまは介護される立場にありながらも、常に周りを看護婦の目でも見ておられる。
だから私たちのサービスが行き届いてないことを敏感察知して、先輩、先生としての言葉をくださる。
今日は言い訳したいところだが、スタッフが少ないのは会社の都合。
それをシュンさんに話したところでなんにもならない。
「すみませんでした。気をつけます。シュンさんお世話になりました。ありがとう、本当に助かりました」シュンさんは優しい先生の笑顔で「そうよ、気をつけて見てあげてね」と言ってくださった。

こんなぐあいに今日は何度となく、利用者さんに助けていただいた。

事務所を離れなきゃいけないときに、一人で困ってアタフタしていたら、「どうしたの?番ぐらいならしてあげる」とチュウさんが玄関へ。
誰か来ないかと外を見ながら、ニコニコと椅子に座り番をしてくださった。
体操のときには途中来客のために席を外したら、元教師のヒサさんが「いち、に、さん…」と体操のリーダーをしてくださった。
さすが先生。
ハキハキした声でみんなを引っ張り、私なんかより何倍も上手だった。
チュウさんもヒサさんも、お礼を言うと「何にもしてないけん」と照れながら言われるが、いつもより明らかに目が輝いていた。
『役割』みたいなものがチュウさんヒサさんのテンションをググっと上げ、それをまっとうされたことで満足してくださったんだと思う。

利用者さんたちは『役割』のない生活を送っている方たちが多い。
いままでは母親や父親や妻としての『役割』がずっとあっただろうし、職場での『役割』も大きかったんだろうと思う。
いまは伴侶を亡くされ子供たちは独立し、一人施設での生活。
たいていのことはヘルパーがしてくれるし、自分にしかできない『役割』とゆうものを持っておられない。
それは生きる気力を無くすひとつの原因だと思う。

『人は死ぬまで誰かの役に立ちたい』みたいな言葉を、本かなにかで見たことがあるけど、本当にその通りだと思う。
何か役割を果たすことで、自分の存在価値を確認できるとゆうか、大げさに言えば生きてるって思える。それは私も同じだからよくわかる。
日常の中で『役割』を見つけることはとても大切なんだと、今日また実感した。

思い出したくないぐらい忙しない一日だったけど、みなさんに優しく助けてもらい素敵な笑顔もいっぱい見せてもらって、すっごくイイ日だったんだな。

自分らしく介護

自分らしく介護は介護ヘルパーゆきちの介護日記です。


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